産地を訪ねて

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2026.05

伝統の「結び」が未来をつなぐ。京都・昇苑くみひもに聞く、技術継承のリズム

2026年5月14日公開

京都・宇治。世界遺産・平等院へと続く参道の賑わいから少し離れた地に、平安時代から続く「組紐(くみひも)」の文化を今に伝える場所があります。それが「有限会社昇苑くみひも」です。

ここでは、熟練の職人たちが「手組み」という伝統技法を守り抜く一方で、最新の「機械組み」を併用し、現代のニーズに即した製品を次々と世に送り出しています。伝統と革新、その両輪を回す現場の真髄に触れるべく、まずはお話を伺いました。

インタビューに応じてくださったのは、50年前に組紐の道へ入り、現在は組紐教室の運営にも携わっている、ベテラン職人の梅原初実さんです。

帯締めという遊びと自己表現

ーー組紐と聞くと、着物の「帯締め」を連想します。

梅原さん:「着物という装いの中で、唯一自分で作ることができるのが帯締めの部分なんです。帯締め一本で着物の表情はガラリと変わります。非常に遊びの要素があり、そこに自分の個性を込めることができる。それが組紐の最大の魅力ではないでしょうか。」

梅原さん:「かつて組紐は着付け教室のカリキュラムの一部として教えられることが一般的でした。しかし現在、教室に集まる生徒さんたちは、『純粋にこの技術を習得したい』『自分の手で美しいものを作りたい』と、組紐だけの教室に通っています。」

数学的な理論と、体に染み付いた「譜面」

ーー組紐の柄の組み方は、どのようになっているのでしょうか?

梅原さん:「『譜面のような覚書』で管理しています。組紐には数学的な要素が多分に含まれています。限られた色の糸をどう配置し、どう交差させるか。その変数の組み合わせによって、平面的な『糸』が、立体的な『構造体』へと進化していく。シンプルでありながら無限の広がりを持つ構造は、数学的な美しさを持っているんです。苦手な方は何度やっても覚えられないとおっしゃいますが、理屈が分かると非常に面白い世界ですよ。」

梅原さん:「例えば、教室でも使われる万能な『丸台』では、紐の下に吊るす『重り』のバランスが仕上がりを決定づけます。重りを重くして引き下げれば、テンションがかかり、空気を含んだような柔らかい紐になります。逆に重りを軽くすれば、コシの強い硬い紐に仕上がります。」

梅原さん:「本を読めば知識としては分かりますが、なぜそうなるのか、その時の指先の感覚はどうあるべきかは、実際にやってみない限り絶対に分かりません。1本の紐を、数時間にわたって最初から最後まで同じ調子、同じテンションで組み上げる。それが一番難しく、結局は『慣れ』と『体で覚えること』に行き着くのです。私自身、もう何度も繰り返してきました。」

色の魔術と、シルクという難解な素材

ーー組紐のもう一つの魅力は「色」にあるように感じます。昇苑くみひもさんでは、自社で染色も手がけていらっしゃるんですよね。

梅原さん:「はい。組み目は昔から決まった型がありますが、そこにどのような色を込めるかで無限の個性が生まれます。着物を着る方が『この着物に合わせた色が欲しい』と仰って、その絶妙なニュアンスを糸の振り方で表現していく。同じ組み方でも、糸の色と陰影の重なりで、表情は驚くほど変わります。」

梅原さん:「工場で糸の束を作るところから始まりますが、糸をいかに綺麗にさばけるか。これも重要な職人技の一つです。絡まった糸を解くのではなく、絡ませないように扱う。その指先の繊細さが、最終的な紐の『使い心地』に直結するのです。」

指先から伝わるシルクの質感と、マインドフルネス

インタビューで伺ったことを胸に、実際に組紐のワークショップを体験させていただきました。今回指導してくださったのは、組紐教室に通われているところから指導側へスカウトされた前川尚子さんです。

挑戦したのは、シルクの糸を使ったブレスレットとストラップ作り。体験スペースに足を踏み入れると、角台が用意されていました。

前川さん:「動作自体は非常に単純です。右手で取って、左へ渡す。左手で取って、右へ戻す。その繰り返しです。ただ、集中力が切れて取り違えると、途端に構造が崩れて訳がわからなくなってしまいます。単純だからこそ、雑念が入りやすいんですね。」

前川さんのアドバイスを受け、作業を開始します。指先に感じるシルクは驚くほど滑らかで、それでいて重りによってピンと張られた糸には、力強い生命力が宿っているように感じられました。

最初は「次は右、次は左……」と頭で考えていた手順が、次第に指先の感覚へと移っていきます。木製のボビン同士がぶつかる「こつん、こつん」という乾いた音。その音が一定のリズムを刻み始めると、不思議なことに周囲の音が遠のき、自分の呼吸と指先の動きだけが世界に残るような感覚に陥りました。

前川さん:「それがマインドフルネス効果だと仰るお客様も多いんです。慣れてくると、そのリズム自体が心地よくなっていきますよ。」

前川さんの言葉通り、作業に没頭する時間は、日々の喧騒を忘れられるセラピーのようでした。

▼実際の動画はこちら
https://www.instagram.com/reel/DYVkTckyUfv/?igsh=NDZidTc2b3NneHdx

手組みの「魂」を、現代の「機能」へと接続する

現在、伝統的な帯締めだけで生活を成り立たせるのは、産地全体を見渡しても非常に困難な状況にあります。そこで昇苑くみひもでは、手組みと機械組みの役割を明確に分ける戦略をとっています。

手組みは複雑で特殊なパターンを生み出しますが、量産には向きません。一方で機械組みは、シンプルな構造であれば手組み以上に均一で美しく、コストを抑えて安定供給が可能です。

体験の合間に、現在の組紐について語ってくださったのは、営業担当の八田さんです。八田さんは元々工場の職人として紐を組んでいた経歴を持ち、現在はその技術的知識を武器に、広報や接客までマルチにこなす、まさに「伝統工芸のフロントマン」です。

八田さん:「私たちは工芸寄りの、結ぶことに特化した特殊な紐を作り、それを現代のニーズに合わせてアレンジしています。現在はスマートフォンのストラップやジュエリー、さらには建築関係の資材など、これまで組紐が必要とされてこなかった分野へ積極的に提案を行っています。自分たちから発信していかなければ、技術は待っているだけでは衰退してしまいますから。

社内では、月に一度、営業や工場のスタッフも参加する自由参加の手組み教室を開催しています。職人だけでなく、会社全体で『紐の構造』を理解することで、新しい提案が生まれる土壌を育んでいるんです。」

ーー組紐の会社が数多あるなかで、昇苑くみひもさんは知名度もあり、ブランドを確立されている印象です。京都の街なかでも、アイテムをお見かけします。

八田さん:「呉服以外の仕事も本当に増えました。紐で困っている方がいれば、極力断らずに考える。建築分野など、未知の領域に踏み出すことで、組紐の新しい可能性を掘り起こしていきたいんです。」

体験を終えて。正解は、使い心地のなかにある

約1時間の体験を経て、前川さんが仕上げをしてくださり、つややかなシルクのキーホルダーとストラップが完成しました。職人の梅原さんが仰っていた「組み方による陰影」が、自分で組み上げた紐の中に確かに宿っているのを見て、深い感動を覚えました。

最後に、職人の梅原さんが語っていた「正解のない世界」という言葉が、実感を伴って胸に響きました。

梅原さん:「どの紐も、これで正解かというのはなかなかわからないものです。自分がいいと思えばそれが正解かもしれない。でも、何より大切なのは、使われる方の使い心地がいいこと。帯締めなら、しっかり締まって緩まないこと。それが、私たちが守るべきことなのです。」

昇苑くみひもが守り続けているのは、技法そのものだけではありません。その技法が現代の誰かの手に渡った時の「喜び」や、新しい用途に出会った時の「驚き」です。

建築、ジュエリー、そして最新のデジタルデバイス。宇治の静かな工房で、職人の指先と機械のリズムによって組み上げられる1本の紐。それは、1000年の歴史という重厚な縦糸に、現代という軽やかな横糸を交差させながら、私たちの未来を美しく、そして力強く結び続けています。

【取材協力】有限会社昇苑くみひも

1948年創業。京都府宇治市に拠点を置く組紐メーカー。伝統的な帯締めの製造から、建築・ジュエリー分野への進出まで、組紐の可能性を多角的に追求している。体験工房では、職人の指導のもと、本格的な角台を使った手組みの組紐作りを体験できる。

昇苑くみひも 手組み体験 ※(取材時:2026年4月現在)

・場所:宇治本店(電話:0774-66-3535)
・人数:1回につき4名まで(小学5年生以上対象)
・完全予約制:1週間前まで(向こう2か月間)
・費用:1人 3,850円(税込)
・開始時間:11時~、13時30分~(1日2回)
・所要時間:約1時間
・内容:角台を使って江戸紐と呼ばれる八つ組を組みます。

編集後記:指先から伝わる、1000年のリズムに身をゆだねて

「こつん、こつん」という、木製のボビンが奏でる乾いた音。取材を終えた今も、その心地よいリズムが耳の奥に残っています。

今回の取材で最も印象的だったのは、伝統工芸が持つ「静」と「動」の対比でした。平安時代から続くという重厚な歴史(静)がありながら、現場で語られるのは、数学的な思考やスマートフォンの周辺機器といった、現代的でアクティブな挑戦(動)の数々です。

「伝統を守る」という言葉を聞くと、どこか変化を拒むようなストイックな姿勢を想像しがちですが、昇苑くみひもさんの皆さんの言葉からは、むしろ「時代に合わせてしなやかに形を変えること」へのポジティブな覚悟が伝わってきました。

体験記の中で触れた「マインドフルネス」という感覚。情報の濁流に飲み込まれがちな現代において、シルクの糸一本一本の感触に集中し、ただリズムを刻むだけの時間は、何よりの贅沢に感じられました。

ベテラン職人の梅原さんが仰った、「理屈は分かっても、指先の感覚はやってみないと分からない」という言葉。効率やタイパが重視される世の中で、あえて「体で覚える」ことの豊かさを、組み上がった一本の紐が教えてくれたような気がします。

「結ぶ」という言葉には、離れたものをつなぐという意味があります。 伝統と革新。職人と使い手。そして宇治の工房と、世界中の新しいマーケット。

昇苑くみひもさんが組み上げているのは、単なる絹の紐ではありません。それは、過去から受け取ったバトンを、現代というフィルターを通して未来へと確実に繋いでいく行為そのものなのだと感じました。

(ものづくり新聞 記者 オギユカ)

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