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2023.08

シリーズ:日本の歴史から見るものづくりの心 第5回 海外に伝えたい日本の製造業の強みとは?

2023年08月30日 公開 

第5回 海外に伝えたい日本の製造業の強みとは?

第5回のこの記事では日本の製造業の強みである「すり合わせ」技術と、近年デジタル機器で用いられている「組み合わせ」技術について、日本の歴史や文化的な背景を踏まえて考えます。              

本連載記事の主旨はこちらをご覧ください。

目次

(1)高い技術力は、多様性を調整する力!?
(2)日本はものづくり大国か?
(3)「すり合わせ」「組み合わせ」は労働者不足を補う知恵だった!?
(4)浮世絵は「すり合わせ」の源流? シャネルは「組み合わせ」の源流?
(5)ものづくり大国復活のカギは、「すり合わせ」「組み合わせ」の共存!?

(1)高い技術力は、多様性を調整する力!?

海外に向けて、日本のものづくりの強みを発信したい

伊藤:これまで、ものづくり新聞の取材を通じて、数多くの町工場や伝統工芸の方とつながり、何か一緒にできないかとずっと考えてきました。

実は、海外からの旅行客の間では、日本のものづくりの現場を体験したいという声が数多く挙がっています。特に日本の文化や歴史を知ったうえで、見学・体験したいというニーズが非常に高いので、それを実現したいなと考えています。

そこで、今回は海外からの旅行客で日本のものづくりに興味を持ってくださっている方に向けて、日本の歴史や文化的な背景を踏まえて、日本のものづくりの強みは何かといったことを伝えられる内容をお話しできたらと思っています。

奈良:きっとそのような方は増えているような気がします。日本の料理や伝統文化に非常に大きな興味を寄せる海外の方は多くいらっしゃるようで、YouTubeの視聴などを通じてその技術を学び、通販で道具を揃えているようです。そこに目をつけた日本のテレビ番組が、日本に招待してその現場で体験修行をプレゼントするといった企画を見たことがあります。

その中のひとつには、フランスでワイン製造に携われている日本酒好きの方が、日本の酒蔵で体験修行され、帰国後、ご自身で日本酒製造の会社を立ち上げて販売まで始めたそうです。日本で体験修行された方々に共通するのは、技術とともに職人さんたちのものづくりに対する精神や真摯な態度にも感動し、それを継承していこうとする様子が印象的でした。

そのほか、熱狂的に日本の食文化が好きで、実際に日本に足を運んで、取材やちょっとした体験修行をして、SNSで日本だけでなく自国や海外に向けて発信している方もいるのですが、日本の食文化のエバンジェリストといった活躍なのです。

伊藤さんがお考えになっている町工場や伝統工芸の見学体験ツアーでも、そのようなエバンジェリストになってくださる方が出てくるといいなと思いました。

 日本各地の微妙でゆるやかな多様性

伊藤:今回このテーマを考えるにあたり、私が手にしたのが、イギリスの出版社から出ている『Handmade in Japan』、ドイツの出版社から出ている『Craftland Japan』という書籍です。日本全国の職人を取材した写真集で、おそらく海外の方の日本のものづくりのイメージはこのようなものだと思います。

この2冊では建築家の隈研吾さんが、ちょっとしたエッセイを寄せています。

奈良:私も拝読しました。隈研吾さんは海外で頻繁に投げかけられる問い「なぜ日本の職人の技術レベルが非常に高いのか」について、

・南北に長い地形による気候と、その土地々々で生活する人の多様性

・山間部の豊かな自然とそれを素材・材料としたものづくり

・多様性を調整する力

の観点から考察されていましたね。

伊藤:自然から採れる砂鉄で鉄や鉄製品を作ってきたとか、それを売って歩く交易商人がいたとか、このシリーズの過去の回でも取り上げたことと、重なりますよね。

奈良:そうですね。この考察で特に面白いなと思ったのが、南北に長い地形の土地々々で生活する人の多様性やそれを調整する力です。

通信や交通が現代ほど発達していなくて、共通語といったような言葉もなかった時代、たとえば江戸時代の商人たちは、江戸や大坂、京都などの大都市に出てきても、最初は出身地の言葉や商習慣で商売や交渉をしたと考えられます。

テレビやラジオなどがない時代の言葉の違いというのは、私たちの想像以上の壁があったと思うのですが、それでも商売が成り立っていたことを考えると、やはりそのような違いを調整する力があったのではないかと思うのです。

伊藤:そのようなことを裏付ける事例のようなものはあるのでしょうか?

奈良:江戸時代以前に、列島内で出身地が違うつまり地域ごとに言葉が異なる人たちが、どのような形でコミュニケーションしていたのかといった研究がないかと思って探してみたのですが、現時点ではみつかりませんでした。

しかし、英語と日本語というほどの大きな違いではないにしても、日本語としての共通部分はありつつ、地域ごとに微妙な緩やかな違いがあり、それを調整しながらことを成していったのではないでしょうか。このような調整力が、後に日本のものづくりが得意とする「すり合わせ」という技術につながっていったような気がするのです。

伊藤:欧州のような大陸文化での民族の違いではないにしろ、南北の列島内では北海道と九州、関東と関西といった異なる言語や文化、価値観があり、それが今以上に顕著だった。そしてその違いを調整する必要があったということですね。

(2)日本はものづくり大国か?

ものづくり大国の転換期

伊藤:今、日本のものづくりが得意とする「すり合わせ」という言葉が出てきましたが、この詳細に入る前に、少し日本のものづくり、製造業の現在地を確認しておきたいと思います。

日本は「ものづくり大国」などと言われていた時期もありましたが、現在はどうなのでしょうか?

奈良:1960年代後半から80年代まで続いた日米の貿易摩擦で、アメリカの国会議員たちが日本の自動車をハンマーで壊すといったニュースを見ていた私たちよりも上の世代は、「ものづくり大国」と言われればそうだよねとうなずくと思うのですが、今の若い世代の方々にはあまりピンとこないかもしれませんね。

そもそも「ものづくり大国」の定義があるわけではないので、現在がどうかというのに答えるのは難しいのですが、インターネットで調べられる限りでは、2013年前後までは、ビジネス系の媒体で「日本のものづくりの強み」といった特集がよく組まれていました。おそらくこの頃までは、自分たちの産業のなかでも製造業に強みがあると認識していたことがうかがえます。しかしそれ以降は、ほとんど見かけなくなりました。

伊藤:2013年前後というと、多くの人がガラケーの携帯電話からiPhoneなどのスマートフォンへ移行し、中国のデジタル機器が世界を席巻し始めたころです。一般消費者との接点があるものづくりでいえば、世界の主流が白物家電からデジタル機器に移り変わり、テスラのEV(電気自動車)に注目が集まり始めた時期でした。 

 数字で見るものづくり大国のプレゼンス

奈良:では実際に国際社会は日本のものづくりをどう見ているのかというと、その参考になるのが「グローバル・イノベーション・インデックス」(以下GII)という指標です。これは国連の世界知的所有権機関がアメリカとフランスの大学と共同で2007年から発表しているもので、対象とした100カ国のイノベーション能力や成果を評価する指数です。

2020年のGIIのランキングを解説するこちらの記事によると、調査開始の2007年、日本は4位からスタートしましたが、2012年にかけて低下し続け25位にまで落ちました。その後、緩やかに回復はしますがトップ10圏外の15位前後で低迷を続けています。

伊藤:順位が底を打った2012年というと、まさにさきほどの2013年前後の話しと重なりますね。

奈良:そうです。同時期の日本は、2010年にGDPが世界第2位から3位に転落します。その国が製造国か消費国かを見る指標の一つ貿易収支が、東日本大震災があった2011年から赤字に転換し、2014年に底をつきます。2016年あたりで一時黒字に戻るのですが、また2018年から赤字に転換しています。まさにGIIの順位と貿易収支の折線グラフの推移は同じ傾向をたどるのです。

出典:世界経済のネタ帳

GDPの規模とGDPに占める製造業の割合が同程度でものづくりに強みがあるドイツは、2008年を境に貿易輸出額、貿易輸入額がともに日本の倍の額となり、貿易収支の世界ランキングでは過去10年間、第1位もしくは2位を維持しています。日本が170位を行ったり来たりしているのとは対照的です。

出典:世界経済のネタ帳 

また先ほどのGIIの解説記事では、GIIにある多くの評価項目の中でイノベーションのアウトプットである「創造的な生産物」の項目の低さに注目しています。この項目の低さは、Uberのような文化的・創造的なサービス、iPhoneのような創造的な商品が、GDPや輸出に占める割合が低く、いまだに自動車や重工業系の伝統的な産業に依存していることを示唆しているのではないかと言っています。

伊藤:日本の輸出額そのものは多少の変動はあるものの、大きく減っているわけではないことを考え合わせると、やはりこの記事が指摘するように、自動車や重工業系の伝統的な産業においてはこれまでの強みが生かされていますが、ものづくりによる新しいイノベーションや新しい産業がなく、その部分を輸入に頼っている状況ということが言えるのかもしれません。

そうすると、これまでの強みが何かを振り返り、新しいイノベーションや産業につなげていくことの可能性や方法を考える必要があるということですね。

 

(3)「すり合わせ」「組み合わせ」は労働者不足を補う知恵だった!?

日本の労働力不足を補った「すり合わせ」

伊藤:ここからは、日本のものづくりが従来得意としてきた「すり合わせ」について話していきたいと思います。

「すり合わせ」とは、経営学者の藤本隆宏先生(元東京大学大学院経済研究科教授、元東京大学ものづくり研究センター長、現早稲田大学大学院経営管理研究科ビジネス・ファイナンス研究センター教授)が指摘した生産方法ですよね。

奈良:そうです。藤本先生は、徹底した製造業の現場でのデータや証言の収集、ご自身の観察による生産管理方式の研究で知られている方です。今日は先生の著書である『能力構築競争 日本の自動車産業はなぜ強いのか』(中公新書)『現場から見上げる企業戦略論』(角川新書)をもとに話を進めていきたいと思います。(以下、「すり合わせ」「組み合わせ」については、特に出所を記載していない場合、この2冊を参考にしています)

藤本先生が指摘する「すり合わせ」とは何かを、私なりにかなりかいつまんでいうと、部品やモジュールを独自に設計・製造して、さまざまな工程でさまざまな関係者(企業間)と調整し合いながら、高品質のものをつくっていく手法です。

藤本先生によると、このような手法が生まれた背景には、戦後の製造業の現場が歩んできた歴史が深く関係しているようです。特に高度成長期、製造業は慢性的な労働力不足に苦しんでいたので、一度雇って育成した人材を手放すことなく、同時に各種サプライヤーとの長期的な取引によってそれを補完していく必要がありました。

伊藤:そのような状況だと、ひとりの人が自分の仕事しかしないといったら現場は回らないため、メンバーの仕事の内容を把握し、技術を習得して、融通・調整し合いながらこなしていく必要があった。いわゆる多能工が求められたということですね。

奈良:おっしゃるとおりです。日本の長期雇用やサプライヤーとの強固な関係といった経営的な特徴、「すり合わせ」という製造手法は、一般的によく言われるイエやムラといった日本の文化的な背景から生まれたのではなく、当時の経済合理性から生まれたと藤本先生は考えています。

伊藤:たしかに戦後20年が経過したころ、日本にもなんとか経済的な余裕が生まれ、市場で莫大なモノが求められたとき、それに応えて供給していかなければならなかった当時の製造業の状況を考えると、それは一理ありますね。

奈良:そして藤本先生は、「すり合わせ」は経営者に言われてそうしたのではなく、あくまでも現場でモノをつくる人たちがサプライヤーも含めて、互いに協力し合い、助け合うことによって生み出された手法であり、それが競争力を支える源泉であったと言います。

伊藤:ある時期まで日本の製造業の強みと言われていた「垂直統合」や「現場主義」は、そのような状況から生まれたということですね。長年日本の企業では、さまざまな現場を経験したうえで、調整役としてまとめあげるジェネラリストが求められましたが、そのような背景があったと言えそうですね。

 

米中の労働力不足を補った「組み合わせ」

奈良:ところが1990年代になると、パソコンなどのデジタル機器の製造によって、部品やモジュールを世界中から集めて組み合わせる、「組み合わせ」あるいは「水平分業」と呼ばれる手法が現れました。

デジタル機器では、プロセッサ、マザーボード、ハードディスクといった部品の標準化が進んだことで、どのメーカーの部品であっても、自由に単純に組み合わせれば最終製品が出来上がります。最終製品メーカーは、常に低価格で別のメーカーの部品にスイッチすることができるため、部品を製造する設備や人材を抱える必要がなくなりました。

伊藤:それがアメリカや中国でのものづくりの標準になっていくわけですね。

日本で「すり合わせ」が生まれた背景には、高度成長期の製造業が抱える人材不足があったとのことでしたが、アメリカや中国では、部品を標準化して「組み合わせ」をしなければならない事情というか、藤本先生がおっしゃるような経済合理的な背景があるのでしょうか?

奈良:アメリカでは人材不足をさまざまな国からの移民によって解消していきました。つまり言語や習慣が異なる人々による労働ですので、なるべくコミュニケーションによる調整を発生させずに、仕事が個人で完結する必要がある。むしろ「単能工」による分業とその総体でモノを完成させることが求められました。

一方中国では、沿岸部の工業地帯の労働力不足を内陸部の農村地帯からの若い女性による出稼ぎによって補っていたそうです。若い女性ですので、適齢期までの数年間、集中的に働いたのち、農村に戻っていく。

それと入れ替わるように、また若い女性が出稼ぎにくるといったサイクルがあったようです。その短いサイクルで技術のある人材が自社に定着しなくてもモノをつくれる仕組みが、部品の標準化と「組み合わせ」だったと藤本先生は考えています。

伊藤:つまり、日本はそのどちらでもなかったからこそ、「すり合わせ」が可能だったわけですね。

トップによる設計ありきの「組み合わせ」

奈良:このように藤本先生はあくまでも労働力と経済合理性の観点から「すり合わせ」と「組み合わせ」の発生の違いを考えていますが、私はやはり文化的な背景とそれによる思考方法も違いも、関係しているのではないかと思います。

「組み合わせ」が得意な欧米や中国といった多民族による国々は、一つの国の中でも多様な言語や価値観があります。国というプラットフォームの上に、さまざまな民族がアプリケーションとして載っているイメージで、国の成り立ちそのものが「組み合わせ」と言えるのではないでしょうか。

しかし、多様な言語や価値観を超えて一つの国として結束するためには、最初に「こういう国であろう」という理念と行動指針となるルールが必要です。ルールを遵守し理念を体現することで、初めてそれぞれの独自性や価値観が担保されるわけです。

伊藤:その理念やルールというのは、ものづくりでいえば設計図ということですよね。たしかに何かをモノをつくるには、最初に設計図が必要です。不都合が起きたときには、必ずそれに立ち返って検証する。

特に言語や価値観が違えば、都度の調整が難しいわけですから、最初にいかに精密なルールをつくり、合意形成しておくかがキモとなると言えそうですね。むしろその方が手戻りが少なくて、ゴールに向かって効率的に進めることができるということですね。

奈良:これを、神話などに現れる世界の成り立ち、天地創造という観点に当てはめてみても、同じことが言えると考えています。 最初に設計図というか理念・ルールがあるという点は、旧約聖書の『創世記』の世界観にも通じます。冒頭に現れる神によって、天と地と人間が創造され、世界が形づくられていくわけですが、まさに神そのものが設計図であり、神の理念・ルールにしたがって組み合わされたり、離されたり、追放されたり、分断されたりしながら、世界が創造されていくと言えるのではないでしょうか。

現場による都度調整の「すり合わせ」

奈良:一方、「すり合わせ」が得意な日本は、さきほどもお話ししたように、欧米中といった多民族による国々の内部ほどの大きな言語や価値観の違いはないにしても、列島内の各地域間には微妙にして緩やかな違いがあった。むしろ微妙にして緩やかだったからこそ、都度、調整する必要があったのだと思います。

日本神話に現れる世界の成り立ちも、旧約聖書の『創世記』のような特定の神はなく、まず天と地が現れ、そのあとにいくつかの神々が現れ、その神々が他の神に国づくりを命じるところから始まります。

とはいえ、最初に現れた神々からは、どのような国をつくれという具体的な指示はなく、あくまで命じられた神に委ねられます。命じられた神はイザナギとイザナミという夫婦の神なのですが、この夫婦神が話し合い調整しながら、さまざまな神を産み出して国土を形づくっていきます。

このような現象は、前回お話しした臨床心理士の河合隼雄さんの「中空構造」という考え方で説明できるかと思います。「中空構造」とは「中心が空であっても、全体のバランスがうまくできている」(『神話と日本人の心』河合 隼雄 岩波書店)というもので、中心で強い力が働かない分、周辺が調整し合ってことを成していく現象です。

伊藤:すると、日本の「すり合わせ」が経営者(トップ)に命じられたものではなく、あくまでも現場にいる人たちによって、その必要性から生み出された手法であったのに対して、欧米中が得意とする「組み合わせ」は、トップによる設計図あってこその手法と言えるわけですね。

製造現場での「ハイコンテクストあるある」

伊藤:そして「すり合わせ」は、前後の文脈に依存するハイコンテクストな文化だったからこそ、可能だったとも言えますね。近年、日本の製造業の現場では「ハイコンテクストあるある」というのがあります。

暗黙のうちに、後工程に配慮した加工処理をしておく、あるいは「すべすべ」「ねっとり」「つやつや」「てかてか」「ぴーん」といったオノマトペ(擬音語や擬態語)で会話が進んでいくというものです。日本人の私たちにとっては当たり前のことでも、海外からの留学生や技能修習生が理解できない、困ることの一つと言われています。

奈良:たしかに日本のオノマトペは世界の言語の中でも数が多いようで、冒頭でお話しした日本食のエバンジェリストの方も、その表現の多さや幅広さに驚いていました。おそらく共通語が使われる以前には、地域ごとのオノマトペがあり、今よりももっと豊富な音で表される世界があったのではないかと想像しています。

また「暗黙のうちに」というのは、今の日本の若い方々にとっても難しいことだと思いますが、昔の文芸活動やものづくりには、前後の文脈や工程に配慮することが求められたものがありました。

 

(4)浮世絵は「すり合わせ」の源流? シャネルは「組み合わせ」の源流?

前工程と後工程をつなぐ連歌

伊藤:ここからは、「すり合わせ」という手法が、歴史的にはどのような現象に見られるのかということをお話ししていきたいと思います。

奈良:さきほど伊藤さんから「暗黙のうちに、後工程に配慮した加工処理をしておく」というお話しがありましたが、これもまさに「すり合わせ」の特徴のひとつだと言えます。おそらく前の工程でも同じような配慮があり、その配慮を受けて次の工程につないでいくというのは、「連歌」と呼ばれる文芸活動でも見られます。

連歌とはもともと、五・七・五・七・七の短歌を二人で合作するというものでした。一人が五・七・五(長句)を詠みかけると、相手がそれに応えて七・七(短句)を詠む。その反対もあり、このような形式を「単連歌」といい、平安時代に流行しました。鎌倉時代になると、数人から十数人で五・七・五(長句)と七・七(短句)を交互に詠み続けて、一定数になるまで詠むという「長連歌」が流行し、百韻(100句)まで詠まれたと考えられています。(ジャパンナレッジ「連歌」の頂

伊藤:十数人で100句まで詠むとは、大規模な文芸活動ですね。前者が詠んだ句の言葉やリズムの世界観を踏まえて、それに見合った句を自分が詠んで、その世界観を完成させる、その繰り返しということですね。

奈良:おっしゃるとおりです。この時代の百韻(100句)は最終的に、全体を統一するテーマや内容に至るわけではないのですが、最初の発句で季節の景物を読み込むという決まりがあり、熟達した人や高貴な人、客人が詠んだということですので、そこで百韻(100句)の方向性とクオリティのレベルがある程度示されたと考えられます。その発句を起点に、参加者たちがその場で句を詠みついでいきますので、季節感やテーマ、世界観が、そのたびごとに移り変わっていく面白さがありました。(ジャパンナレッジ「連歌」の頂

伊藤:すると、誰かが終始コントロールしているわけではなく、最初にある程度の方向性が示され、あとは詠みつないでいく人に任されているということですね。そこが「すり合わせ」との共通点でもありますね。

奈良:本当にそうですね。先日、馬場あき子さんという現代を代表する歌人のドキュメンタリー映画を観たのですが、そこで数人の小説家、俳人、詩人、歌人たちが集まり、連歌百韻(100句)が行われていました。

ある人がつなげた句を見た馬場さんは、「前の人の句を引き受けつつ、後の人が詠みやすい句をつなげていく必要がありますね」といったことをおっしゃっていました。複数の人でひとつのものをつくり上げようとする行為そのものが、日本人にとっては「すり合わせ」なんだなと思いました。

伊藤:藤本先生によれば、「すり合わせ」はあくまでも高度成長期の労働環境と経済合理性による発生ではないかとのことでしたが、このように考えてみると、歴史の中で生まれた連歌という文芸活動にも「すり合わせ」に近い営みがあったということですね。

分業の総合芸術、木版画の浮世絵

奈良:そのほか「すり合わせ」のような営みがあったものとしては、江戸時代の版画による浮世絵などが挙げられます。これも工程ごとの分業によって仕上げられる共同作品で、絵師、彫師、摺師など版画を制作する部隊と、企画から制作管理、販売までを統括する版元の総合芸術だと考えられています。

伊藤:おそらくこの時代になると、ものづくりの多くが工程ごとの分業によるものだったのでしょうね。

奈良:そうだと思います。浮世絵は当初、売れっ子絵師の肉筆による一点ものの作品で、とても高価なものでした。色は墨一色でしたが、そこに色を足していく過程で木版画になり、大量生産ができるようになったことで、庶民の手にも入りやすくなったと言われています。

伊藤:版元は現在のプロデューサーのような存在で、描く内容やコンセプトあるいはテーマを決め、それを絵師、彫師、摺師などに伝えて制作させたということでしょうか。

奈良:版元の方針が決まると、その絵を描かせるのに適切な絵師や彫師、摺師が選定されたようですが、最初のやりとりしたのは絵師だけだったようです。

実際、絵師が「下絵」を見せ、版元は自分の意図通りになっているかチェックする場面が、浮世絵として描かれ残っているようですが、下絵の段階ではまだラフなもので、彩色もなく描き込まれてもいない状態です。それで版元と絵師の調整が行われたようです。

彫師は版下絵をもとに輪郭線を掘り込んだ「主版」を作成し、墨色の絵具で紙に擦り、それに絵師が色の指定をしていきました。その色の数だけ版が彫られました。この段階で、色刷りがずれないように、全ての版の同じところに「見当」というものが彫られたようです。まさに後工程に配慮した工夫と言えるのではないでしょうか。

伊藤:おそらくこの後の刷りの工程も含めて、絵師と彫師、摺師の間で、場合によっては版元も登場して、さまざまな「すり合わせ」が行われたと考えられますよね。

最初の版元と絵師とがやりとりして版下を制作するまでが、現代のプロタイプ開発のようでもあり、絵師の版下が彫師に渡るところから、ウォーターホール式のような工程だったということですね。

奈良:たしかに!まさにそうですね。

 製品の大衆化を推し進めた工程の標準化と「組み合わせ」

伊藤:では、「組み合わせ」が得意な欧米中は、どうだったのでしょうか?

奈良:中国は別に考えた方がいいかと思いますが、欧米では産業革命前後までは、浮世絵と同じような過程をたどったのではないかと思われます。

伊藤:最初は職人ひとりの手による一点ものの制作から、工程ごとの分業制に移行したということですね。

奈良:そうです。19世紀の終わりから20世紀の初頭にかけて、アメリカが経済力をつけてきたことで、欧州の各地でモノや芸術の大衆化が始まります。それまでは、欧州の王侯貴族のために、それぞれの分野の熟練の職人たちが一点ものとして制作し、納品していました。

しかし第3回でもお話ししたように、プロテスタントのアメリカは、モノやサービスを提供し、そこから得る利潤が大きければ大きいほど、神の御心に叶っていると考えますので、一点ものではなく、大量生産による大量供給を目指しました。

モノの大量生産と大衆化という点では、アメリカのフォードとフランスのシャネルを挙げることができると思います。

伊藤:車と洋服の大衆化がはじまったということですね。

奈良:やはりどちらもそれまでは、王侯貴族の権力や威勢を誇示するためのデコラティブな意匠でつくられていましたが、フォードとシャネルは各パーツや部品、デザインを極力シンプルにして標準化して、それを組み合わせていく手法を生み出すことで、大量生産に成功しました。(『シャネル ─その言葉と仕事の秘密』山田 登世子 ちくま文庫

伊藤:まさに部品やパーツの標準化が行われたわけですね。

奈良:藤本先生によれば、フォードの当時の大量生産の方式も、現代のデジタル機器のような「組み合わせ」ではなく、どちらかというと「すり合わせ」に近いものだったようです。

一方、シャネルの一切の装飾のない黒のドレスは、パターンが単純で最小限のパーツで構成されていました。アメリカ版『ヴォーグ』に掲載されたとき、「シャネルという名のフォード」「フォードドレス」と評されそうで、フォードの自動車とともにアメリカで熱狂的に受け入れられ、一財産築いたと言われています。(『シャネル ─その言葉と仕事の秘密』山田 登世子 ちくま文庫

また有名な「No.5」という香水も、当時出回りはじめた化学合成香料の組み合わせによってつくられたのですが、それにより香りの再現が可能となり、大量生産に成功したと思われます。それまでは、生の花から抽出された精油(エッセンシャルオイル)で、調合師によって一点一点つくられていたものでしたので、ドレスとともに画期的な生産方法だったのではないでしょうか。(『シャネル ─その言葉と仕事の秘密』山田 登世子 ちくま文庫

伊藤:シャネルというと、世界的なラグジュアリーブランドの創設者というイメージが強いですが、生産手法のイノベーターでもあったのですね。彼女の生産手法は現代の「組み合わせ」に近いものだと感じました。

奈良:大きくデコラティブな帽子や裾を引くドレス、窮屈なコルセット、重い宝石といった当時の女性たちのファッションからみると、シャネルの服は現代でいうところのファストファッションであり、その発想と生産手法は、ユニクロやZARA、H&Mなどにつながっていったのかもしれません。

(5)ものづくり大国復活のカギは、「すり合わせ」「組み合わせ」の共存!?

「すり合わせ」「組み合わせ」は、生産手法が進化していく過程のひとつ

伊藤:ここまで、日本のものづくりの強みである「すり合わせ」について、それを指摘した経営学者藤本隆宏先生の説をもとに、歴史上のものづくりの面から考えてきました。

ずっとお話を伺っていて思ったのは、日本にしろ欧米にしろ、最初は特権階級のために職人の手で一点一点つくられていたものが、工程の分業化とその「すり合わせ」によって大量生産が可能となり、大衆化の過程をたどっていますよね。

そこからさらに分業化を進化させて、作業やアウトプットを標準化した形が現代のデジタル機器で行われている「組み合わせ」なのではないかなと思いました。

つまり「すり合わせ」と「組み合わせ」は対立する概念ではなく、どちらも量産化とともに生産手法が進化していく過程のひとつとも言えそうです。

奈良:藤本先生によれば、「すり合わせ」と「組み合わせ」には、それぞれに向く製品があるということです。たとえばデジタル機器は、自動車のような乗り心地といった体感が求められるわけではありません。かなり単純化した言い方になりますが、計算ができればよいわけです。そのような機器はモジュールや部品間の情報のやりとりが少なくてすむため、独立性の高いものを単純に「組み合わせ」ただけで成り立ちます。

しかし自動車は、多くの部品やエンジン、サスペンションといったモジュールの総体として、乗り心地が実現されますので、部品やモジュールを切り離すことはできず、相互に連携させるため、どうしても「すり合わせ」が必要となります。その分、効率性やコスト面で競争力が損なわれることがあります。

部品やモジュール、デザインの標準化を進め、自動車の量産化に成功したフォードであっても、つくっているものが自動車であれば「すり合わせ」ですし、シャネルのドレスのように単純化された洋服であれば「組み合わせ」でも成り立つということかもしれません。

ただ今後、自動車がOSで動くスマホのようなものになってくると、伊藤さんがおっしゃったように「組み合わせ」は「すり合わせ」の進化の形だということができるかと思います。

伊藤:たしかにAppleのiPhoneなどは、機器そのものは究極の「組み合わせ」でありながらも、版画の浮世絵の版元と絵師のように、設計の段階で何度も手戻りさせながら、かなり高度な「すり合わせ」をしているからこそ、あれだけ付加価値の高いものが産み出せているような気がします。

やはりAppleもモノをつくる会社ですので、単なる計算だけではない、実際にモノを見て、手にとってさまざまな検討や議論をする。その生産性を上げるために、きれいでかっこいいオフィスを用意し、チームビルディングやコーチングなどを用いた人材育成に力を入れているのではないでしょうか。 

奈良:現在、生成AIの爆発的な普及で半導体GPUの増産が追いつかないとも報道されています。改めて半導体製造の工程について調べてみると、近年、ムーアの法則が限界に近づき、後半工程での集積回路の高度化が、パッケージング技術の高度化と精密性に依存しているようです。

そのため隣接する工程間の「すり合わせ」が、これまで以上に重要になっていると言われていました。そのプレイヤーには、日本の材料メーカーや製造装置メーカーが名を連ねています。

伊藤:おそらくその工程の「すり合わせ」も、ある時期がくれば標準化、ルール化されて「組み合わせ」に進んでいくのかもしれませんが、単純に「すり合わせ」と「組み合わせ」と分けて考えことはできず、ひとつの製品の中でも「すり合わせ」ている部分や工程もあれば、「組み合わせ」だけで成り立っている部分もある。今後の競争力はその塩梅にかかっているとも言えそうですね。

奈良:サイバーフィジカルシステムのIoT技術の一つであるセンサーなどは、私たちの生活空間のリアルをセンシングする技術と、センシングした情報をデジタルデータに変換してサイバー送る技術、つまり「すり合わせ」と「組み合わせ」が得意とする領域がそれぞれあり、その微妙な塩梅が価値となる機器ですので、そういった分野で強みを発揮していけるかもしれませんね。

 

「すり合わせ」によるプラス3の価値を強み、競争力に変える

伊藤:そのような技術がうまくビジネス化、ブランド化されて、新たなイノベーションや産業につながっていくといいですよね。そもそも日本の製造業は新しい技術が確立されると、他の国が60くらいまでしか到達できないものを、「すり合わせ」で試行錯誤して98までに高めてきたのだと思います。

なんとか頑張った国が95までは到達できるとしたら、98までのプラス3が日本の付加価値になる。でも日本の製造業の人は最初から98のものしか知らないから、プラス3の価値に気づきにくい。その3をいかに経済的な価値に換え、世界に通用するブランドにしていくかが、今後の競争力のカギとなるのかもしれません。 

奈良:本当にそうですよね。そのプラス3の価値が、日本のものづくりの現場を見学体験した海外の方々を通じて、伝播していってほしいなと思います。

<過去の「ものづくりと日本の歴史」記事はこちらからご覧になれます>

第1回:針供養に見るものづくりの神々〜日本人が「もの」に魂が宿ると考えるワケ〜

第2回:鉄づくりは日本の文化 〜たたら製鉄の「たたら」って何?〜

第3回:「いいモノを作れば売れる」神話はどこから来ているのか?

第4回:日本のアトツギとファミリービジネス ー その歴史を紐解く(前編)

第5回:海外に伝えたい日本の製造業の強みとは?(本記事)

 

 

著者紹介:奈良美代子

グロービス経営大学院大学にて制度設計、カリキュラム・科目開発、リーダー育成などに従事。2018年よりフリーランスとして活動。経営学と人文学(主に日本文学・文化)の知を綜合した社会人教育、企業研修の開発を手がける。

ものづくり新聞 編集長 伊藤宗寿

「あらゆる人が ものづくりを通して 好奇心と喜びでワクワクし続ける社会の実現」をビジョンに活動する製造業向けインタビューメディア「ものづくり新聞」編集長。早稲田大学理工学研究科にてネズミ型ロボット研究テーマを立ち上げた後、電通国際情報サービス、イメーション、ミスミ、シンラ・テクノロジー・ジャパン、Mozilla Japanを経て現職。主に製造業の業務改革、DX/IT化プロジェクト推進、販売促進支援などが専門。

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