ヒトを訪ねて

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2026.08

茶道具を結ぶ紐が宇宙へ伸びる?真田紐師「江南」十五代目に聞く、450年の構造

2026年8月24日公開

昔、京都の町屋の奥まった一角に、機(はた)の音をあえて外に漏らさぬように織られていた紐があります。それが「真田紐(さなだひも)」です。

戦国時代には武具として、江戸時代には茶道具として、そして現代では宇宙産業の素材候補として。450年以上にわたり、この平たい紐は時代ごとにまったく異なる役割を与えられてきました。その秘密を探るべく、京都で真田紐の製造を手がける老舗工房、江南(えなみ)の十五代目当主、和田伊三男(わだ いさお)さんにお話を伺いました。

和田伊三男さん

京都・真田紐師「江南」十五代目当主。450年以上続く真田紐の技法を継承しながら、宇宙産業への応用など新たな可能性を模索している。

縦糸が2本ずつ、圧縮して生まれる強さ

ーー真田紐は強度があることで知られていますが、その強さの秘密は、どこにあるのでしょうか。

和田さん:「真田紐は縦糸が普通の織物の2倍あります。縦糸・緯糸も多くの本数があり、それを圧縮して織っていくので、強い紐ができるんです。」

ーー織り方にも種類があるそうですね。

和田さん:「一重の『一重織り』と、二重の『袋織り』があります。袋織りは一重織りの倍ほど強い。中に空洞ができるので、ワイヤーを入れたり、場合によっては芯を詰めたりすることで、さらに強度を高めることもできます。」

ーー紐の中に空洞があり、そこにワイヤーや芯まで詰められると聞いて、正直「紐」という言葉のイメージが崩れました。その強さは、どんな場面で最初に活かされたのですか。

和田さん:「袋織りは非常に耐荷重が強いので、お城を建てる時の石垣の石を引っ張り上げたり、柱を吊り上げたりすることができました。平たい紐なので面で支えることができ、丸いロープのように食い込むことがありません。」

命を守った紐、格式を崩した紐

ーー戦国から近代にかけて、真田紐はどのように使われてきたのですか。

和田さん:「第二次世界大戦の時はパラシュートの紐や、ゲートル(※1)として足首やすねに巻いて使われていました。真田紐は丈夫なので、毒蛇の歯が通らないという効果もありますし、体内に入った毒を回らないようにする効果もありました。戦国期には、真田紐で刀を受け止めた瞬間に絡めて引くとロックして、次の一撃までの間、動かないようにする使い方もあったそうですよ。」

※1:すねや足首を保護し、動きやすくするために巻き付ける帯状のもの。脚絆(きゃはん)。

ーー毒歯を食い止める!1本の紐が武具でありながら医療器具でもあったのかと驚かされます。武具以外にも、身を守る使われ方があったとか。

和田さん:「戦国の武士は強く締めることで止血したり、アキレス腱に強く巻いてサポーター的に使ったりもしていました。お守りのような意味もありましたが、合理的な面もあったんです。」

ーー真田紐は茶道にもよく使われるそうですが、どのような背景があるのでしょうか?

和田さん:「千利休が聚楽第(じゅらくだい)などにおられた頃、組紐を使う権利は官位をいただかないと得られないステータスなものでした。一般の人にお茶を広げようとした時、それまでの格式高い道具では使えなかった。そこで桐箱と真田紐のしつらえが作られ、北野大茶会でお茶が広がっていきました。」

「真田幸村が発明した」は史実ではない

ーー真田紐という名前は、戦国武将・真田幸村を連想させます。

和田さん:「名前が先行している部分があって、真田幸村が発明したという話になっていますが、それより前に千利休が使っているので歴史的に合わないんです。」

ーー正直、取材前までは私も真田紐は真田幸村が考案したものだと信じて疑いませんでした。本当のルーツはどこにあるのでしょうか。

和田さん:「私の先祖が甲賀の武士で、伊賀の忍者の見張り役をしていました。伊賀の忍者は普段農業をしているので、冬場の仕事として真田紐作りをやらせたのが最初です。忍者の人たちがそれを背負って売り歩きながら諜報活動をしていました。この話が講談で真田幸村の話に変換されてしまったんです。」

ーーでは、真田家との関わりはまったくないのですか?

和田さん:「真田紐を甲冑に最初に使ったのは真田幸村のお父さんの真田昌幸です。ステータスよりも戦に勝つことを優先する人で、動きやすいように真田紐を使いました。手首や足首に巻いて、サポーターのようにし、動きやすくしたんです。それで少数の兵で大軍を破ったという逸話があり、他の人が真似をして『真田が使っている紐』として広まったのが名前の発祥です。」

宇宙ステーションへ伸びる紐

ーー宇宙産業への応用のアイデアをお持ちだそうですね。きっかけは何だったのでしょうか。

和田さん:「カーボンナノチューブの開発に関する情報をネットで見ていた時に、宇宙ステーションまで伸びるエレベーターの話を知りました。6cm程度のカーボンの平たく織った紐を宇宙ステーションまで伸ばし、それをレールにして移動するものを上げていく。ロケットなしで宇宙ステーションまで行けるという内容でした。」

ーーそれが真田紐と結びついたのですか?

和田さん:「縦糸の素材にカーボンナノチューブを使って真田紐の織り方を応用すれば、強度の高いものができると考えています。」

ーー面白いですね!最新の素材と、450年以上前からある技術がコラボレーションするなんて。

和田さん:「そうでしょう。使い方の技術が決まれば、素材開発の方向もまとまってくると思うんです。真田紐の織り方をするのなら、素材はこうなったほうがいいんじゃないか、とね。」

名前より先に、作り方を残したい

ーー戦後、真田紐を取り巻く環境も大きく変わったと聞きます。

和田さん:「西洋文化が浸透したことで紐を使う機会が減り、紐の使い方が全くわからないという方が一気に増えました。昔はあくまで紐は素材だったのですが、今はストラップやアクセサリー、バッグなどそのまま使えるものにした状態での販売もしています。」

ーー昔は宣伝もしない商売だったそうですね。

和田さん:「はい。真田紐には各家の決められた柄の紐がありそれで真贋判定を行ったりしますので偽物を作られてはいけないからです。ですので看板を上げてもダメ、見本帳を作ってもダメ、人に言ってもダメという商売でした。京都の家は奥へ長いので、真田紐は一番奥で織り、機の音が外に聞こえないようになっていました。」

ーー今は積極的に発信されているとか。

和田さん:「そうですね。柄の意味が決まっていない紐はご自由に使っていただけますので素材として販売するだけでなく、使い方も発信するようになりました。例えばバッグの取っ手として使えますよ、と言うだけでなく、実際に商品にして販売するなど、使い方のガイドラインになるようなものを作り始めました。」

ーー和田さんは、次の世代に真田紐の何を残したいですか。

和田さん:「技術、作り方、使い方を残したいです。素材が変わっても、なぜ強くなるのかという作り方の部分が大きい。生きている間に、新しい科学技術の部分で真田紐の作り方を参考にしたものが広がっていけばいいなと思っています。」

編集後記:構造は残り、物語は変わっていく

取材の間、和田さんが「強さ」について語るとき、その言葉はいつも構造の話に戻っていきました。石垣を吊り上げた力も、武士の命を守った締め付けも、利休が庶民に開いた茶の湯の入り口も、そして宇宙エレベーターの夢も、すべては「縦糸を2本ずつ配し、圧縮して織る」というひとつの原理の応用形です。

印象的だったのは、和田さんが真田幸村の伝説をきっぱりと否定しながらも、その物語の集客力までは否定しなかったことです。知名度と正確さ、そのどちらも切り捨てられないところに、伝統工芸の情報発信の難しさがにじんでいました。

「名前より、作り方を残したい」という言葉は、一見地味に聞こえるかもしれません。けれど、450年前に生まれた織りの原理が、素材を変えるだけで宇宙まで届く可能性を持つのだとすれば、和田さんが守ろうとしているのは紐そのものではなく、時代を超えて応用され続ける「構造」なのかもしれません。

(ものづくり新聞 記者 オギユカ)

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