産地を訪ねて
2025年10月10日公開
美濃焼は、岐阜県の東濃(とうのう)地方の土岐(とき)市、多治見(たじみ)市、瑞浪(みずなみ)市、可児(かに)市で作られる焼き物の総称で、日本の陶磁器における生産量の約半分を占めています。岐阜県は、まさに日本最大の陶磁器の生産地です。
そんな美濃焼の窯元の中で、今年(取材時:2025年8月)の4月から、海外販路拡大を目指し、動き始めた人たちがいます。土岐市にある6つの窯元です。今回はその発起人である窯元を訪ねました。
時代に合わせた日常の器を作る「藤山窯」
岐阜県土岐市の山間の町に工房を構える藤山窯(とうざんがま)です。

藤山窯の主、加藤賢治(かとう けんじ)さん、75歳(取材時:2025年8月)です。創業は1973年。加藤さんが23歳の時に自分で開いた窯です。それ以来、常に5年、10年先の未来を見据え、その時代の暮らしに合わせた器作りを心掛けてきました。

加藤さんが手にしている花瓶は、今一緒に制作をしている元ノリタケのデザイナーの方と共同で作ったお気に入り。風景画はその方の手書きだそうです。
加藤さんが作っているのは日常使いの器。「しのぎ」という縦に線を入れる装飾技法と「粉引(こひき)」という白い器を作る技法を掛け合わせた器作りが中心です。

「粉引」は白い器を作る技法のひとつ。土岐で取れる粘土が赤土だったので、料理が映えるように、白い泥をかけて白化粧をし、釉薬をかけて焼いたのがきっかけだったそうです。
ーー加藤さんは「美濃焼で海外に進出しようと」と、お仲間に呼びかけた発起人と伺いました。どういう経緯があったんですか?
加藤さん:「私たちは30年間、東京ドームのテーブルウェア・フェスティバルに参加して、お客さんと一緒に成長してきました。何年も参加していると、リピーターさんが増えて、お客さんの使い勝手の良い商品を考えながら、お互いを高め合っていける感じっていうのかな。自分たちだけだったら成長できなかった。お客さんがいたから成長できたんです。でも、コロナで価値観が変わり、イベントも規模が縮小されて参加できなくなってしまいました。」

300ml入るたっぷりサイズのマグカップ。この白の評判が良く、約10年前のテーブルウェア・フェスティバルでは、このシリーズの専用ブースを設けたほど人気だったそうです。
ーーイベントの規模が縮小され、2023年の秋からは、東京ドームシティのプリズムホールでの開催になりましたね。
加藤さん:「そこで諦めれば良かったんだけど、私は諦めたくなかったんです。新しい発表の場、購買の場を作るにはどうすればいいかって考えたときに、国内で東京以外の場所を選ぶなら、もう世界を目指すしかないだろうと。世界に窓口を広げていくことが、次世代の可能性にも広がると思うんです。でも、今、そんな市場はない。だったら作ろうかと。」

素焼きした状態のどんぶり。焼くとひと回り小さくなるため、焼き上がりの直系は18cmになるそうです。藤山窯のどんぶりの中では小さい方ですが、サラダやうどんなどにも使えるため、一番使い勝手が良いと人気だそうです。
ーーヨーロッパのバイヤーさんが見学に来てくれることになったと伺いました。
加藤さん:「本当は現地に行くのが一番いいと思うんです。どういう器が好まれるのかを知るためには、どういう生活をしているのかを知ることが大事だと思うからです。でも、距離があるので、だったら来てもらって一度見てもらおうかと。私はヨーロッパに行ったことがあるんですけど、食事がとてもシンプルです。ジャガイモにエンドウ豆にパン、それから、ワイン。」
ーー確かに、その国の料理によって使う器も変わりますね。
加藤さん:「日本は水が良いでしょう。四季もあって、海の幸、山の幸に恵まれている。日本人はものすごく繊細な舌を持っていて、美味しい和食がある。こんな素晴らしい国はないですよ。当然、海外が和食を求める時代が来ると思います。そうすれば、その料理を盛り付ける食器も必要になる。やっぱりこれからは海外しかないと思います。」
等間隔は職人技!「しのぎ」
加藤さんが普段作っている焼き物について教えていただきました。
加藤さん:「これは『鎬(しのぎ)』というシリーズです。17、18年ぐらい前、50代が終わる頃に作り始めました。」

「しのぎ」は、土の表面をU字型の道具で削りながら等間隔に縦線を描く装飾技法。「しのぎを削る」は一般的に「激しく争うこと」を意味しますが、陶芸では縦線の模様なんですね。
加藤さん:「高度経済成長期に入ると、ギフト商品も増えて、大量生産、大量消費の時代になり、どんどん売れました。それまでは、地元で採れる土の材質がどんぶりに適していたことから、『どんぶりの産地』という、伝統的な地域性があったんです。でも、今は、陶芸に使う土を生成するために、外国の部材も使って土を作っています。いろんなものを作るようになって、地域性の特色だけでは、生き残れない時代になってきました。」
ーーよりオリジナル性を追求するようになったということでしょうか?
加藤さん:「はい。私の弟子が茨城県の笠間にいるんですけど、ここに来た時にサンプルとして持ってきたものが、しのぎの模様が入ったものだったんです。しのぎは伝統がある模様なので、馴染みがあるし、これを応用したら面白そうだなと思いました。長年の勘みたいなものですね。」

加藤さん:「だけど、弟子は商品化できなかったんです。私が作ってみたら、現在の『鎬シリーズ』のような作品ができました。これなら模様としても応用が利くので、全商品に使えるから、商品化できると思いました。」
ーー下絵もなしに、等間隔で模様を彫るのは難しいんじゃないですか?
加藤さん:「自分でしっくり来ない時は本数を数えますけど、5、6歩手前で気がつくので、そうすると調整します。日本の美意識は黄金比。太さと細さと色とのバランスだね。」


加藤さん:「私は『50年、土を触っている分だけ強い』ってよく言われます。感覚が体に染み込んでいるので、普段通りにやっていても、神業みたいに見えるようです。」

加藤さん:「問屋さんに、うちの商品は『柔らかみがある』って言われるんです。若いときの線と比べると、だいぶゆるくなりました。柔らかい線になって、落ち着きも出てきたかな。手で作るものには温もりがあります。特に日本人は器を手に持って食べるので、そういう温もりは大事にしたいと思っています。」
美濃焼「織部」からの出発
加藤さんは、絵付け職人の両親の元に生まれました。家を継ぐのが嫌で、高校卒業後は北海道へ働きに。しかし、20歳で呼び戻されてしまいます。そんなある日、加藤さんに運命の出会いが訪れました。

岐阜県の東濃地方は、武田信玄にとっての要所で、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らに翻弄された地域。加藤さんのご先祖様は370年~380年前の江戸時代、瀬戸から土を求めて土岐へ移り、大名の調度品となる茶道具を作っていました。加藤さんはその一族の末裔なんだそうです。
加藤さん:「表面的な加飾や装飾には限界があると感じていたし、自分の故郷を中から変えていかなくちゃダメだと思っていたんです。そんな時に、たまたま入った陶芸サークルで出会ったのが、清山窯(せいざんがま)の親子でした。最初はいわゆるテレビに出るような、山に籠って自分の作りたい作品だけ作る有名な陶芸家に憧れたけど、普通に町中に窯を開いて、お客さんの使い勝手を考えた器を一から作る陶芸の仕事がいいなと思ってね。清山窯に入って陶芸の基礎を教わり、修行が始まりました。」
ーー何歳で独立されたんですか?
加藤さん:「23歳です。長く居ればいるほど師匠の色に染まっていくし、技術は自分が習得するものだから、長年いたって仕方がないと教えられました。自分の窯を持ってからは、生き延びることが先決。時代を読む力を持たなきゃいけないなと思いました。」
ーー最初はどんな器を作っていたんですか?
加藤さん:「茶道具です。本当は『志野(しの)』を作りたかったけど、志野は『還元』という焼き方で、『織部(おりべ)』は『酸化』という焼き方。還元の窯は、数百万円から数千万円必要で、投資が大きいんです。独立してすぐに志野の窯を持つことはできませんから、自分でやれる範囲となると、酸化の織部だったんです。」

美濃焼には伝統工芸品に指定された15種類の陶磁器があります。中でも、「志野」「織部」「黄瀬戸(きせと)」「瀬戸黒(せとぐろ)」は、今から400年前の安土桃山時代に作られ、その文様や釉薬により、豊かな色彩が施されていることから「美濃桃山陶(みのももやまとう)」と呼ばれています。(写真提供:岐阜県土岐市)
美濃焼の歴史とAI時代に思うこと
歴史が好きで勉強したという加藤さん。美濃焼と地域の歴史について教えていただきました。歴史を知ることは、新しいことを生み出すことにもつながるといいます。
加藤さん:「私が教わった師匠は、小さいながらも、志野の独特の雰囲気を持った個性ある器を作る人だったから、恵まれていたと思いますね。織部を作るなら私も独特のものを作りたいと思って、昔の文献をあさって、室町時代の茶道具の再現をしたこともありました。」

加藤さん:「ここは何でも作る町だから、今は、箸置きを始め、マグカップ、小さい皿から大きい皿まで何でも作ります。」

加藤さん:「江戸時代、この辺はどんぶりを作っていた地域なんです。どんぶりに適した良質の土が出たのでね。歴史に詳しい人から聞いた話では、ここは岩村藩の飛び地(※)で、農業をするには土が悪かったから、税として奉納できるのは焼き物しかなかったそうです。」
※飛び地とは、江戸時代、城付きの領地に対し、大名が家臣に対して、遠隔地に分散して与えた土地のこと。

土を練る機械、土練機(どれんき)。同じ規模間の窯元では、2台あるのが一般的だそうですが、藤山窯では6台稼働。ピーク時には10台あったそうです。土を入れてスイッチを押すと、真空状態のまま中で土を練ることが出来ます。土練機の歴史は100年ぐらいあるそうです。
加藤さん:「江戸時代、東京(江戸)が100万都市になって、器の需要が増えたので、生産規模を上げてどんどん大きくなっていったんです。町にはうどん屋や蕎麦屋などが増え、ご飯に天ぷらやうなぎ乗せる食べ方も出てきて、どんぶりを使う需要が増えたためです。」

一番シンプルな陶芸の機械。古くから使われているもので、遠心力を利用して作る単純な機械だそうです。加藤さんは「機械が単純なものほど人間の技が反映される」と、使い続けています。
加藤さん:「明治維新の頃は、焼き物と絹を輸出することで国力が上がりました。この辺の窯元もパリ万博に出して、有名になって行きました。奥田さん所の丸直製陶所の製品も、すごい量を輸出したもんです。明治の頃には、窯元にも単純な機械が入ってきました。産業のために、この町に水力発電所を2基作ったんです。この辺は川が多いから、昔は水車の力で動かしていたけれど、それを水力発電に切り替えたわけです。その頃は隣の多治見市に中部電力会社の本店がありました。(2025年8月現在:名古屋市)」

型の中に入れた土が、遠心力であっという間にカップの形になっていきます。
加藤さん:「大正11年には駄知線(だちせん)が開通したんですけど、その時代に、鉄道を引いてくる力がこの町にはあったわけです。その陰で、実家は引越しを余儀なくされて、ここに住むようになったんですけどね。戦後までは、窯株(かまかぶ)といって、株を持った人しか窯業はできませんでした。その頃、窯元は17軒(2025年8月現在、美濃焼の窯元約300軒の内、3分の2が土岐市の窯元)だったんです。」

加藤さん:「戦後、ここ駄知町(だちちょう)は割烹の町で、徐々に国内の観光業も盛んになって来て、旅館や飲食店を中心に、食器類の需要が増えました。たくさん売れるようになって、どんぶりだけじゃなく、何でも作る町になっていったんです。自由競争になったのは昭和30年以降です。」

加藤さん:「今はデジタル化で、これからAI中心の世の中になっていくと、ますます人間の出る場がなくなりますね。だけど、その逆の方向へ行くと、まだまだ可能性はあると思っているんです。ただ、伝統ある良い技術を使って、今の時代にどう表現していくのかは、AIをある程度利用してヒントをもらったり、SNSを使って自分たちを上手くアピールしたりしていかないと、これからは、もう生き残れない時代だとも感じています。」
「手触り」という付加価値を付けたオリジナルの器
加藤さん:「こちらは『ジュエル』というシリーズです。この模様は偶然生まれました。初めて見たときに、まさにジュエリー、宝石のようだと思って『ジュエル』と名付けました。

加藤さん:「目がいい人には釘で刺したような『点』があるのが見えると思いますよ。」

ーー偶然生まれたものを、次にどうやって作るんですか?
加藤さん:「その時、どんな条件だったのか、それを繰り返しやることによって、再現できるようになるんです。昔は、季節や窯の重さを含め、いろいろな条件でその時に偶然出来たものを経験値で追求していました。でも、今は数字できちんと出せます。焼き物は科学なんです。焼いた時にどういう化学反応が成立するかっていうことだからね。」

加藤さん:「光っているのは珪石(けいせき)でガラス質。白いところが長石(ちょうせき)。熱を加えることによって、大地の溶岩、花崗岩(かこうがん)のような雰囲気になるんです。こういう材質が成り立つと、手触り感も違います。これには今までの食器と違って、『手触り』という付加価値をつけてあるんです。この商品では『心地よい凹凸感』を楽しんでもらえると思います。」

加藤さん:「これは(写真上)、1930年代、アメリカのガラス製品の中で、一番シンプルな模様のリメイクです。すごく流行ったから、記憶にある人も多いと思いますよ。」
ーーちょっと「しのぎ」と似ていますか?
加藤さん:「そうね。似ているけど、しのぎとは別です。薄いから85gと軽いんですけど、丈夫に作りました。これ以上焼くと潰れちゃうという限界まで焼いてあるんです。今の時代、核家族化が進んできて、ワンプレートで食事をする家庭も多いから、スープカップやマグカップをどう作っていくかが勝負だと思っています。」
ーー水玉模様もかわいいですね。
加藤さん:「この水玉は、デザイナーさんのオリジナルです。このシリーズは、釉薬がついていません。だから『手触りが違う』んです。この商品は『持つと手に吸い付くような、今までにない感じ』がすると思います。世界中で誰もやってない、そこが唯一無二です。日本人ばかりではなく、海外の人にも受け入れられるはずだって思っています。」

ーー釉薬をつけなくても大丈夫なんですか?
加藤さん:「釉薬は汚れと傷つき防止の役目をします。それがないということは、汚れやすいし、丈夫じゃないから欠点だらけ。だけど、それを全部克服してあるので、これは漂白も出来ます。」
ーーどういう工夫をされたんですか?
加藤さん:「マイクロ波の窯で焼いたんです。実は、作ろうとして作ったわけでもないんです。窯を変えると、構造が変わるので、変化が生まれます。それを知っていたので、一番に手を挙げて、マイクロ波の窯を導入しました。もう7年くらい前(取材時:2025年8月)になります。この安定感は、真似しようと思っても真似できない世界です。美濃焼が生んだ1つのイノベーション(技術革新)ですね。」
マイクロ波ガス複合炉で唯一無二の器作り
加藤さん:「これが『マイクロ波ガス複合炉』という電子レンジとガス窯の複合炉です。マイクロ波で粒子を発熱させながら温度を上げていくので、従来のガス窯とは全然違う構造です。例えば、ガス窯が10時間以上かかるとすると、マイクロ波は5、6時間で焼けます。」

マイクロ波ガス複合焼成炉「MGK-50型」。10年ほど前(取材時:2025年8月)、国と土岐市の研究機関と、窯を作る専門家、築炉屋(ちくろや)さんによる共同制作が始まり、窯元が協力して試験運用がスタート。当時は9台あったそうですが、現在、稼働しているのは藤山窯のみ。加藤さんにとっては、唯一無二の作品を作ることができる近未来の窯なんだそうです。
ーー半分の時間で焼けるんですね!
加藤さん:「エネルギーの効率が違うんです。特徴は『自己発熱』。マイクロ波もガスの熱だけど、炉にファンがついているので、ファンで中を撹拌することによって、矢印のように、波動を撹拌するから均一に焼くことが出来るんです。そのため、ロスも出ません。」

加藤さん:「従来のガス炉は、加熱されたレンガの熱によって、外側から加熱されるので、焼け具合の違うところが出てきます。偶然性が生まれやすいという利点もあります。マイクロ波の窯は、パーフェクト過ぎて、思った以上のものが出てくる偶然性はないんですよね。ただ、マイクロ波は粒子を振動させてそのエネルギーで焼くので、粒子の並び方が違うため、薄くしても丈夫に焼くことが出来ます。」

加藤さん:「この窯がなかなか普及しないのは、メンテナンスが高いからじゃないかな。電源が4つ付いているんですけど、この間も一つ壊れました。86度まで温度が上がるから、自分の熱でやられちゃうんです。そもそも値段が高いということもあると思います。1,000万円以上するからね。今だったら1,500万円ぐらいするかな。」

加藤さん:「マイクロ波は電磁波だから体に悪いっていうのもありますね。マイクロ波が漏れないように、オールステンレスで出来ています。中を見てみてください。マイクロ波の窯にはレンガが必要ないんです。レンガは熱を蓄えながら温度を上げますが、マイクロ波は温度を蓄える必要がないから、マイクロ波が外に漏れないように遮断するだけです。」

ーー窯の内側を覆っている白いのはなんですか?
加藤さん:「グラスファイバーです。ちょっと触ってみてください。」
ーーわ、柔らかい!見た目、硬そうですけど、柔らかいですね。
加藤さん:「グラスファイバーの中に珪石(けいせき)が編み込まれています。珪石の融点は1,700度なので、かなりの高温に耐えられます。この窯は1,350度まで焼けますが、私が焼くときは1,250度で焼いています。この窯の構造によって、半分の時間でロスなく焼けるようになったことが、窯の変革期に繋がったんです。しかし、均一化された一定のモノしか生まれなくなり、遊び心のある偶然性が生れないというのが残念ですけどね。後は、どう使うかです。」
ーー他に何か変化したことはありますか?
加藤さん:「夜、消防車のサイレンが鳴っても安心して眠れるようになりました。短時間で焼けるから、火事を起こさないように夜を徹して見張る必要がなくなったことも良かったです。」
ーー加藤さんは、陶器を中心に商品を作っていらっしゃったそうですが、最近は磁器にも挑戦していらっしゃいます。それはどうしてですか?
加藤さん:「最近は、土物の陶器よりも、磁器が好まれる時代になってきたからです。海外も磁器が多いですしね。磁器は石で、陶器は堆積物の土。美濃焼がこれだけ有名になったのは、太古の昔にあった東海湖(とうかいこ)という湖のおかげなんです。山が噴火して、土砂が川に流れて堆積すると、その土は長時間をかけて白くなっていきます。これは、土の中に含まれる鉄分が水に溶けて流出していくためです。この辺の土は粘土なんですけど、おかげで良い土が取れるんです。世界でも、こういう堆積した土を使って焼き物を作れる国は日本しかないですよ。中国は石を粉にしたものを使って、整形したあとで削って薄くしていますから。」
透光性を持たせた磁器で海外へ挑戦
ーー海外に向けた商品作りを模索していると伺っていますが、今、どんなものを作っていますか?
加藤さん:「今作っているのはこれ(写真下)です。この素材は、明かりを柔らかく表現してくれます。模様は、デザイナーさんが1つずつ手で彫っているんです。手で掘ったものは柔らかみが全然違いますし、彫刻の仕方によって見え方も違います。ちゃんと計算して掘ってあるんですよ。」

卓上照明、その名も「ムーンライト」。このデザインは、椿の花が開くイメージで作ったそうです。柔らかい光がとっても素敵です。
ーー中の光が透けるということは、それほど薄いということですね!どのぐらいの薄さですか?
加藤さん:「1.5mmぐらい。厚いところでも2mmぐらいだと思います。最高級の地元の土をブレンドし、マイクロ波の窯で限界の焼き方を習得して、透光性を持たせました。100%オリジナルです。」
ーーどうしてランプを作ろうと思ったんですか?
加藤さん:「アイキャッチ要素があるでしょ。絵になるし、印象にも残る。焼き物は、ガラスのように透明にはならないけど、透光性があって光がオブラートのような柔らかい感じになります。テーブルウェアの一つとして『卓上の間接照明として活かせないか』と考えました。人は必ず食べなければ生きていけません。光を受けながら食事をするというコンセプトの商品はヒットすると思うんです。」

加藤さん:「実は、このシリーズは、去年のクリスマスに出そうっていいながら、今年(取材時:2025年8月)の春にできたんですけど、デザイナーさんが『上にサンタと星を乗せたい』って言って、そこからまた悩まれて、ようやくここまでこぎつけました。」

加藤さん:「11月になると急にクリスマス商品が売れ出すので、今年の目玉商品になるんじゃないかなと期待してます。期間限定の商品になりますけど、ヨーロッパはクリスマスの行事が盛んだからね。遊び心で電球の色合いを変えても楽しめると思いますし、これに名前を彫って、『誕生日や結婚式などのアニバーサリーの記念品にもどうかな』って考えています。」
ーー今後の海外展開が楽しみですね。加藤さんは約50年間、器を作り続けてきて、何が一番楽しみであり、魅力ですか?
加藤さん:「明日はまた違った可能性があるはずなので、その扉を開けるのが面白いですね。もちろん、お客さんに売る目的もあるし、楽しんでもらう目的もあります。私は商品を安定させるより、もっと違うものを作りたいっていう気持ちの方が強いので、商品化した時にはすでに、次のステップに行っています。先しか見ていないので(笑)。」
■藤山窯 https://tohzan.jimdofree.com/

2025年10月11日(土)~13日(月・祝) 東京 代官山T-SITE MINOYAKIMARKET
2025年10月25日(土)~26日(日) 岐阜県土岐市内 うつわさがし
【編集後記】
75歳の加藤さん(取材時:2025年8月)が、常に先を見続けているのが印象的でした。そんな加藤さんは、3年前から代官山で出張販売をするようになりました。なぜなら、代官山は今、インバウンドの影響で、外国のお客さんが15%、住んでいる外国人が15%。来場者の3割が外国人だからだそうです。どんな器が海外の人に受け入れられるのか、研究の場にもなりそうですね。一方で、加藤さんの趣味は「コーヒー」です。コーヒーの淹れ方は数値化されていて、焼き物同様、化学なんだそうです。

取材で伺った8月初旬は、気温が40度に届きそうな猛暑日でした。加藤さんは、冷たい炭酸コーヒーで出迎えてくださり、取材後は、コーヒー豆をその場で挽いたホットコーヒーでもなしてくださいました。実は、加藤さんのコーヒー好きは高校時代からで、その頃から地元のカフェ巡りをしていたんだとか。還暦になり、地元の喫茶店でコーヒーの淹れ方を習い始め、15年経った今でも習い続けています。好奇心の強い加藤さんが、海外で、これからどんな道を切り開いていくのか、とても楽しみです。
ものづくり新聞 小柴寿美子
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