産地を訪ねて

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2025.07

日本工芸産地博覧会レポート①万博からの恩恵/株式会社玉川堂(新潟)

2025年7月24日 公開

日本工芸産地博覧会2025が、6月16日(月)~18日(水)までの三日間、大阪・関西万博内のEXPOメッセ「WASSE」で行われました。このイベントは「工芸産地へ行くことが旅の目的になって欲しい」と願って、日本工芸産地協会と読売新聞の共催で行われたものです。

全国各地から手仕事の工芸に関連した20社が参加し、大阪弁で「どや」と自慢できる商品の展示や販売を始め、職人による実演や体験なども行われました。3日間の来場者は約4万人!ものづくり新聞では、取材してきた内容を4回に渡ってレポートします。

今回ご紹介するのは、新潟県燕市(つばめし)で金属加工業を営む株式会社玉川堂(ぎょくせんどう)です。1873年、日本政府が初めて公式に参加したオーストリアのウィーン万博に出展。150年以上にわたり、万博に出展してきた企業なのです。

200年以上にわたり技術を継承する玉川堂

玉川堂の創業は1816年。徳川11代目将軍、徳川家斉(いえなり)が幕府を収めていた江戸時代から、200年以上、日用品の銅器を製造してきました。玉川堂が作る銅器は「鎚起銅器(ついきどうき)」といい、1枚の銅板を金鎚(かなづち)で叩いて製造する伝統的な技法を用いて製造されます。その技法は1958年には「新潟県無形文化財」に指定され、1980年には文化庁より「選択無形文化財」に指定されています。

選択無形文化財とは、記録作成等の措置を講ずべき無形文化財のこと。日本の芸能や工芸技術の変遷を知る上で重要であり、記録作成や公開等を行う必要がある無形文化財において、国や地方公共団体が行う記録作成や公開事業に対して、文化庁が助成を行っている。

会場では、鎚起銅器(ついきどうき)の技術の1つ、「口打出(くちうちだし)」の製造過程について、途中経過を並べて、わかりやすく紹介されていました(写真下)。口打出は、注ぎ口さえも1枚の銅板から突起させて作るので、注ぎ口と本体のつなぎ目が一切ないという驚きの技法です。口打出は、職人の中でも限られた人しかできない難しい技だそうです。

通常、玉川堂では、ヤカンや急須は、本体、口、持ち手、ふたをそれぞれ担当する職人がいて、4人が1つのチームになり、それぞれのパーツを組み合わせて1つのヤカンや急須を作るのが基本だそうです。

こちらは、大阪弁で「どや」と胸を張って自慢できる作品コーナーに展示されていた玉川堂の作品(写真下)です。明治時代、日本政府が初めて公式に参加したオーストリアのウィーン万博(1873年)に、玉川堂も初参加しました。こちら(写真下)は、その頃に作られた作品で、金属の表面に模様を施す「彫金」といった装飾技法が施されています。万博に参加する諸外国に対し、日本の伝統工芸の豪華絢爛さをアピールする狙いがあったようです。

また、ひと際存在感を放っていたこちらの作品(写真下)。人間国宝 玉川宣夫(たまがわ のりお)さんの作品「木目金花瓶」です。「木目金」は金、銅、赤銅の金属の色の違いを利用して木目のような紋様を浮かび上がらせるという、かなり難しい技法だそうです。玉川さんは先代6代目の弟で約35年間玉川堂で働いていた方です。

玉川堂の番頭、山田立(やまだ りつ)さんです。山田さんは2010年に入社。現在は、番頭として営業や企画を担当していらっしゃいます。ブースで紹介していた巨大ヤカンや万博へ参加する意義について、山田さんにお話を伺いました。

約150年前から万博に出展し、約100年前にグランプリ受賞!

ーー今回、ここに出展されようと思ったきっかけは何だったんですか?

山田さん:「玉川堂は1873年のウィーン万博から、9回、国外の万博に出た記録が残っています。そこに展示する商品は、当然残るものだし、恥ずかしい仕事はできないですから、『その万博に出るんだ』っていうところに向かって、みんな仕事をしていたわけです。そのハードルを乗り越えてきた歴史があるんです。大阪・関西万博って、最初ネガティブな報道がものすごく蔓延していたじゃないですか。だけど、僕ら玉川堂にとっては、万博があったからこそ、伝統を情熱を持って今でも引き継いでいられるんですよ。ちなみに、この賞状(写真下)は、1926年のフィラデルフィア万博でグランプリを受賞したときの賞状です。」

ーー1926年…、約100年前ですか!?

山田さん:「我々が生きている間に、日本で万博をやることは、恐らくもうないでしょうから、『このタイミングを逃したら、もうチャンスはない。』ということで、コストはかかりましたけど、こういう機会じゃないと、こういうものにもトライアルできないですし、コストの問題じゃないんですよ。」

当時の資料が残っていないため、どの作品がどんな理由でグランプリを受賞したのか、正確にはわからないそうですが、その時代に作られた作品から考えると、彫金などが施された煌びやかな作品だったのではないかというお話でした。

【万博の歴史】
万博のはじまりは、ペリー来航の2年前になる1851年。イギリス、ロンドンのハイドパークで開催された「第1回ロンドン万国博覧会」でした。日本がはじめて万博に参加したのは、1867年の第2回パリ万博。日本政府として初めて公式に参加したのは、1873年のウィーン万博博覧会です。現在の万博のように「テーマ」を持った万博が始まったのは第一次世界大戦後。そして、日本で初めて開催された万博が1970年の大阪万博なのです。

江戸時代の「つばヤカン」を巨大化して復刻!

玉川堂がこのイベントのために作ったという巨大なヤカンについてお話を伺いました。

ーー凄く大きなヤカンですね!これは、どのくらいかけて作られたんですか?

山田さん:「ヤカン本体が2ヶ月半ぐらいです。あの黒いヤカン(写真下)は、うちの初代が作ったヤカンです。1個だけ残っていまして、おそらく、170年~180年前(江戸時代後期)のヤカンです。昔はお湯を沸かすのも、かまどで沸かしていたので、お釜と一緒で、落ちないように『つば』がついてるんです。『つばヤカン』っていうんですけどね。」

ーーどうしてこの巨大ヤカンを作ろうと思ったんですか?

山田さん:「うちは今7代目になりますが、初代はヤカン屋で、「也寛屋覚兵衛(やかんやかくべえ)」って言われていました。今回、博覧会に出るにあたり、『僕ら何をしようか?』とみんなで話し合ったときに、『初代のヤカンを作る技術が、200年後の今も脈々と受け継がれている。そのヤカンを模して、大きい会場でも見やすいように、拡大したものを作らないか?』という話になったんです。それで、初代の4倍サイズのヤカンを作ることになりました。」

ーー4倍!凄いですね!水はどのぐらい入るんでしょうか?

山田さん:「263ℓ入ります。本体の重さが36.2kgあるので、男性2人じゃないと動かせないです。」

4倍になるよう、きちんと寸法を測って作ったそうで、設計図は12枚にもなったそうです。

1枚の銅板を叩いて作る

ーーどうやって作ったんですか?

山田さん:「まず、直径125cmの銅板を仕入れてきました。そして、その角を切って、男2人で、1人が支えて、もう1人が叩いて、それを繰り返して作りました。」

ーーえー?この巨大ヤカンを手作業で作ったんですか?

山田さん:「はい。銅は叩くと固くなるので、叩いては700~800℃で焼いて柔らかくして、また叩いては焼いてを繰り返しながら作りました。本体部分は上と下の2つのパーツを組み合わせましたので、大きくなればなるほど大変な作業です。なかなかイメージ通りの形状にならず、口の部分は5~6回ほど作り直しました。」

ーーめちゃくちゃ大変な作業じゃないですか!

山田さん:「今、職人が21名いるんですけど、30年のベテラン職人でもやったことがない過去最大のサイズなので、様々な壁にぶち当たりながら、みんなで作りました。だから今回、みんな勉強になったと思いますよ。」

巨大でありながら、初代のつばヤカンと同様のやり方で作られたヤカン。昔から伝わる鎚起銅器ならでは製法によって生み出された技術の結晶でした。

歴代当主や関わってきた方への感謝をサギに込める

会場では、職人さんが巨大ヤカンに彫金で装飾を施していました。描いていたのはサギです。

サギは漢字で書くと「鷺」。「路(みち)」と「鳥」に分けられます。鳥が路を導くということから、ここまで7代続いて来たことへの感謝の気持ちと、今後も良い方向へ導いてくれるという未来への期待を込めて、歴代当主をサギに見立て、7羽描くことにしたそうです。

「たがね」(写真上)を金鎚で叩きながら模様を刻んでいきます。たがねの向きを微妙に変えることで、線の強弱をつけているそうです。かなり根気のいる地道な作業ですが、見事3日間で彫りあげました。

工場見学で200年続く技術を見て欲しい!

ーー今回の日本工芸産地博覧会に参加してみて、いかがですか?

山田さん:「想定外だったのは、95%ぐらいが日本のお客さんだったということですね。僕はもっと海外の人が多いと思っていたから、日本のお客様がめちゃくちゃ多くて、あれ?って思いました。」

ーー確かに!海外の人にも見て欲しかったですね。

山田さん:「はい、もちろんそうなんですけど、玉川堂を知らないお客様がたくさんいらっしゃったので、僕らの認知度は、まだまだ、全然足りないなと思いました。日本全国いろんな地域からいらっしゃっていましたから、ちょっとでも興味を持っていただいたお客様が、実際に、このあと、新潟まで足を運んでくださって、制作の現場を見ていただくというところまで、どれだけ繋げられるかというところが、今回のイベント全体としてのポイントだと思います。」

ーー玉川堂のこだわりは、どんなところでしょうか?

山田さん:「200年前の創業当初から変わらないやり方でずっとやっていることだと思います。とにかくこの技術を残したいんですよね。うちがなくなっても誰も困らないと思いますけど、売れないからとか、続かないからとか、経済的な理由だけでなくしちゃうと、もう1度それを復活させるのって無理ですよね。」

ーーそうですよね。どうしたらこの技術を残せると思いますか?

山田さん:「技術を残すための一つの手段として、工場見学があると思います。制作現場を見ていただくと、価格に納得感を持っていただいたり、ご家庭での扱い方が変わってきたりすると思うんです。それぞれの職人が何にこだわって仕事をしてるのかが一目瞭然ですからね。日曜・祝日など、休みの日もありますが、いつでもご覧いただけますので、ぜひ燕三条に足を運んでもらいたいです。」

ーー次の目標は何か考えていらっしゃいますか?

山田さん:「まずは、あの巨大ヤカンを売りたいですね。どこかで皆さんに見ていただけるところがいいと思うので、落ち着いたら、ちゃんと真剣に営業したいです。実質オブジェなので、美術館に置いてもらえたらいいですね。」

玉川堂 (新潟県)公式サイト https://www.gyokusendo.com/

玉川堂は、新潟県燕市に本店があるほか、東京に銀座店があります。また、2024年3月には、東京・表参道駅から徒歩10分の所に工芸のセレクトショップ「玉川堂 笄 KOGAI」店をオープンしました。玉川堂の鎚起銅器はもちろんのこと、木工、染織、漆器、陶磁、硝子、金工など、全国各地の手仕事で作られた工芸品を楽しむことができます。銅器のメンテナンスや使用方法などにも相談に乗っていただけるそうです。

【編集後記】

玉川堂の商品を見学していた際、カナダ人のマシュー ヘッドランドさん(写真上・右)が接客してくれました。マシューさんは、現在カナダ在住だそうですが、少し前まで玉川堂の営業として働いていて、このイベントを手伝うためにカナダから来日されたそうです。朝、玉川堂のコーヒーポットで入れる一杯のコーヒーが至福のひととき。プライベートや仕事のことで悩んでいた時、玉川堂の工芸品に出会ったことで、考え方や価値観が変わったそうです。哲学的な話にも花が咲き、楽しいひと時でした。玉川堂の皆さんは、今回、社員旅行と社員研修も兼ねていて、職人さん21名に販売スタッフも合わせて合計32名が参加していました。大規模な国際イベントですから、世界のモノやコト、ヒトに触れ、玉川堂の職人さんの感性も多いに刺激されたことでしょう。

ものづくり新聞 小柴寿美子

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